日本語 記事

台湾で日本人戦没者を祀る潮音寺とバシー海峡戦没者慰霊祭

台湾最南端の恒春(こうしゅん)半島。

ここは台湾海峡とバシー海峡、太平洋に面し、半島の先端は猫鼻頭(マオービートウ)と鵝鑾鼻(がらんび)という2つの岬に分かれています。
この半島に位置する墾丁(こんてい)は、豊かな海産物やマリンスポーツなどが楽しめる「南国リゾート」スポットとして日本人観光客にも人気を博しています。

しかし、その近くで、先の大戦で戦没した数多の日本人が祀られていることはあまり知られていません。


▲台湾最南端から望むバシー海峡

バシー海峡戦没者を祀る潮音寺

猫鼻頭岬に建つ潮音寺(ちょうおんじ)は、先の大戦において少なくとも10万人以上とも言われるバシー海峡戦没者をお祀りしています。

台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡は、先の大戦末期、日本にとって死活的に重要な海上輸送路でした。
物資、兵力が極めて不足し、緒戦の勢いを完全に失っていた日本軍は、あらゆる戦力をフィリピンに結集させる比島決戦を企図しました。
そこで、多くの輸送船がバシー海峡の航行を余儀なくされましたが、米軍はそのことを熟知し、潜水艦を配置することで、魚雷攻撃によって次から次へと日本の輸送船を撃沈しました。
そのため、バシー海峡は「輸送船の墓場」と呼ばれました。

潮音寺は、バシー海峡で撃沈された玉津丸に乗船し、奇跡的に生還を果たした中嶋秀次氏(故人)によって建立されました。
戦後、中嶋氏は戦友を慰霊したいという思いを抱き続け、慰霊施設建立のため私財を投げ打って奔走しました。
そして、中嶋氏の熱意に共鳴した台湾人らが全面協力し、潮音寺は1981年に現在の場所に建立されました。


▲潮音寺

▲潮音寺の2階からは正面にバシー海峡が望める

バシー海峡戦没者慰霊祭のはじまり

潮音寺が建立されたことで、ご遺族をはじめ、多くの人々が慰霊訪問団を結成するなど、手を合わせに訪れることができるようになりました。

しかし、日本と台湾の間には正式な外交関係が存在しないなど、様々な制約があり、公的或いは大規模な慰霊祭はこれまで行なわれていませんでした。

そこで、戦後70年の節目であった2015年、台湾在住日本人と台湾人を中心とした民間の「バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会」が結成され、潮音寺で初めて大規模な慰霊祭が行なわれました。当日はご遺族ら約160名の日本人と台湾人が参列しました。

バシー海峡戦没者慰霊祭は、その後、2016年以降も実行委員会が主催し、一年に一度、潮音寺で執り行なわれています。

戦後75周年の慰霊祭

戦後75周年の節目の年であった昨年2020年は11月22日に慰霊祭を斎行しました。

昨年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、日台間の自由な往来が制限されていることから、日本からのご参列は叶いませんでしたが、当日は台湾在住日本人・台湾人の計60名が集いました。また初の試みとして実施したライブ配信にも多くの方々にご参加いただきました。

当日は、台湾における日本の窓口機関である公益財団法人日本台湾交流協会の泉裕泰代表にご出席賜り、弔辞を頂戴したほか、ご遺族代表としてバシー海峡で撃沈された輸送船「吉野丸」に乗船していたご尊父を亡くされた吉田成江様から弔辞を頂戴しました。

潮音寺での慰霊祭後には参列者の方々とバシー海峡を望み、近くの海岸にて白菊の献花を行いました。今年はご遺族を中心に事前にお申し込みいただいた方々の献花を代行し、その模様もライブ配信いたしました。

慰霊祭終了後にはご遺族の方々から「来年、きっと彼の地で合掌します」「いつの日か必ず参加したいと思います」と言った声が寄せられました。


▲2020年バシー海峡戦没者慰霊祭の集合写真


▲バシー海峡に向けて白菊を献花

 

ご遺族の声を聴いて

私は2015年より実行委員会の一人として慰霊祭に携わっています。

私自身、「バシー海峡の悲劇」を知ったのは2015年の慰霊祭直前で、当然ながら潮音寺の存在も知りませんでした。同時に少なくとも10万人以上が亡くなっている悲劇の歴史が日本では十分に知られていないことを嘆かわしく思いました。

私はこれまで6回の慰霊祭を通じ、多くのご遺族の声を聴いてきました。
バシー海峡で兄を亡くした90歳を超えたあるご遺族は「国のために奉公したかなと嘆く母を慰めようがなかった」「『俺は若くして死んだがお前は長生きしろ』という兄貴にお礼が言いたい」と話していました。

またバシー海峡で祖父を亡くし、お母様とともに毎年参列しているご遺族は、バシー海峡に向かって手を合わせた時、祖父から「俺の子じゃないか、自信を持って生きろ。日本人じゃないか、誇りを持って生きろ」と励まされたような気がすると言います。

ご遺族は戦没した家族が乗船していた船の名前も、戦没した詳細な場所や日時もわかっていません。言うまでもなく、ご遺骨も未だ海の中に沈んだままです。

ご遺族が抱く様々な思いに触れる中で、心静かにバシー海峡に向かって手を合わせられる唯一の場として、慰霊祭を継続していく必要を毎回痛感します。

日台交流の現場でもある

現在、潮音寺は、中嶋氏とともに潮音寺建立地を探すなど、生前親交があった台湾人地権者の鍾佐榮(しょう・さえい)さんによって維持・管理されています。

鍾さんはこれまで約40年にわたり潮音寺と関わり、中嶋氏の遺志を受け継ぎ、御霊を慰めたいとの思いで、今日に至るまで潮音寺を護り続けています。

毎年の慰霊祭では、日本から参列するご遺族に対し「自分のあとは息子が護っていく。どうぞ安心してください」と声をかけています。こうした鍾さんら潮音寺を護り、慰霊を続ける台湾人の思いも、日本人は知るべきでしょう。
▲潮音寺を護っている台湾の人々。左から2人目が地権者の鍾佐榮さん

慰霊祭のこれから

戦争体験者も年々少なくなる中、戦争の歴史が徐々に風化しつつあるように思います。

バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会では「銘心鏤骨(めいしんるこつ)」という四字熟語をスローガンに掲げています。

意味は心と骨に刻み込むように、しっかりと記憶して忘れることがないこと。
私たち実行委員会は、様々な制約があろうとも、今後も慰霊祭を粛々と続けていきたいと思っています。

戦争の歴史を、そして戦没者の存在を忘れ去らないため、より多くの方に慰霊祭にご参列いただきたいと願っています。

(写真・文)権田猛資

バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会事務局長。廣枝音右衛門氏慰霊祭事務局長。現在、YouTube「ゴンタケ台湾Channel」を運営。台湾の日本語世代への聞き取り調査を続け、台湾の歴史や日台交流秘話などを記録・発信している。

Twitter: https://twitter.com/taiwan_gontake

YouTube: https://www.youtube.com/channel/UC7NsdF_8z_uYpkLw1VxWffw